なあなあ日常ときどき雨

日常、建築、デザイン、映画、音楽、本ときどき毒づく

〈おまけ〉の人生

以前、学生時代の恩師が亡くなった。

 

 

恩師はまだ50代後半だったのだけど、亡くなる少し前に

 今死んでも悔いはない

という様なことを仰っていたらしい。確かに恩師はたくさんの素晴らしい実績があり成功していたのだけど、この業界では50代後半でもまだまだ若い。誰もが早すぎるって哀しんだ。

 

その言葉を聞いて、私は果たして50代で今死んでも悔いはないと思えるほどの人生を歩めているのだろうか?と不安になった。

仕事や色々なことに悶々としていたときだったので、いつ死んでも悔いのない人生を送らなきゃと焦りを覚えました。

 

その少し後、父と食事をしたときに父にその話をしました。

そして

 

 お父さんは今死んでも悔いはない?死ぬのは怖くない?

 

と聞いた。

すると父はニコニコしながら

 

 お父さんは今はおまけの人生だと思ってるからいつ死んでも良いと思ってる

 

と言った。てっきり孫の顔を見たいくらい言ってくれるかと思ったのに予想外の言葉だったのでその真意を尋ねてみた。

なんでも父は私がまだ小学生の頃、海外出張中にタクシーで事故にあった。幸い父の怪我は大事に至らなかったもののタクシーの運転手は亡くなったようだった。臨死体験をしたわけではないのだが、事故前後の記憶がすっぽり抜け落ちていたり生きた心地がしなかったらしい。それ以後、父はこの事故で死んでもおかしくなかったから今の人生はきっと〈おまけ〉なんだと考えるようになったのだという。

 

その話で何となくこれまで不思議だった父の生き方に合点がいった。

父は生き急いでなくて、いつでもマイペース。無理をしないし、それ故に浮き沈みもない。

でもそれなりに自分の人生を楽しんでいる。

 

 

毎日を明日死んでも悔いのないように精一杯生きる

 

と言ったりするけれど、父の遺伝子を受け継いでる私には父のように〈おまけ〉の人生こんなもんでしょ、くらいに気楽に生きるほうが性に合っているのかもしれない。父の話を聞いて少し肩の力が抜けたような感覚になりました。

そして父にとっては〈おまけ〉の人生で私を大学院まで行かせてくれてありがとう。

 

そういえば昔、少しだけ観たドラマで『ロスタイムライフ』というのがあった気がします。

確か死んだ人が、人生で無駄に使った時間をサッカーのロスタイムみたいに最期に与えられてやり残したことをするという話だったでしょうか。

曖昧な記憶なのでまた時間があるときに観てみようかな。

その話はまた別の機会に。