なあなあ日常ときどき雨

日常、建築、デザイン、映画、音楽、本ときどき毒づく

soundscape

休日はお昼まで寝てることも多い夜型ぐうたらな私。

しかし、木造長屋に住んでからそういうことは少なくなりました。

 

◻︎余談

木造長屋での生活について以前書いた記事 

mmmm73.hatenablog.com

 

 

なぜならご近所のみなさんが毎日規則正しく生活をしていて、朝になると様々な生活音が聞こえてきて目が覚めるからです。

 

 洗濯機を回す音

 朝ごはんをつくる音

 玄関のドアをがちゃん、と開ける音

 ゴミ出しをして挨拶をする声

 近所の子供にいってらっしゃーいという美容室のおばちゃんの声

 

 

木造長屋は隣の家と壁を共有して何軒も連なって建っている家を指しますが、私が借りているお家は両隣が建て替わっているので壁は共有していません。

しかし、隣の外壁とは数十センチほどの隙間しか無く、薄い壁なので窓を閉め切っていてもご近所の音がかなり聞こえてきます。

 

最近の家、特にマンションは窓のサッシや部屋間の遮音性能もかなり高いので隣人の音がうるさいなんてことも少ないように思います。

東京で1年ほど住んでたマンションも防音がしっかりしていましたが、目の前が国道246号だったので四六時中、車の音が聞こえないことはありませんでした。そのせいで夜眠れないこともしばしば。

こういう環境がある限り、きっとまだまだ住宅の遮音性能が上がっていくのだと思います。

 

車、電車、高速道路、飛行機、新幹線…

社会がどんどん便利になっていくことで増えてきた騒音。しかしそれに対抗し、すべての音を排除することが良いことなのか?

 

唐突ですが、私の好きな映画『容疑者Xの献身』でこんなシーンがありました。

(※以下、結末をご存知の前提で話を進めますのでネタバレあり) 

 

 

数学者・石神(堤真一)が人生に絶望して死のうとしたとき、同じアパートのお隣に花岡靖子(松雪泰子)とその娘が引っ越してくる。その日から隣から聞こえてくる花岡母娘の楽しそうな会話や生活音が石神にとって生きる意味にになる

 

原作小説も読みましたが、原作にはこのあたりの詳しい描写はなかったと思います。石神がどのようにして花岡母娘に救われたのかは想像するしかありませんでした。そのため説明はなく、映像だけで表現されるこの描写で最後の内海薫(柴咲コウ)の

 

石神は花岡靖子に生かされていたんですね

 

という台詞が効いてきます。

 

これは花岡母娘が美人で性格が良かったから起こりえただけで極端な話かもしれません。笑

でも誰かが生活で出す音が誰かの生活をつくることもあるのだと思います。

現代では騒音がご近所トラブルになり、ひどいときはニュースになるような事件になることもしばしば。

その問題をすべての音を排除することで解決するんじゃなくて、昔のように他人の生活の音も自分の生活環境として楽しむことができれば素敵だなと感じます。

 

土地の風景のことをランドスケープ(landscape)といいます。

それに対してつくられた言葉が音の風景、サウンドスケープ(soundscape)。

 

私も

 せっかくの休日を寝坊させてくれ〜

なんてネガティヴに考えるのではなく、ご近所さんのつくるサウンドスケープのおかげで今日の休日はいつもより長く過ごせるぞ!

と感謝するくらいの姿勢でいなくては、と思うこの頃なのでした。

 

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(でも眠いものは眠いので二度寝はしちゃいます)

 

ちなみに『容疑者Xの献身』 は他にも好きな台詞がありますが、

その話はまた別の機会に。