マレーネ・モンテイロ・フレイタス『バッコスの信女-浄化へのプレリュード』を観てきた
結構前になるけれども今年の10月に
KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2018でロームシアター京都でやっていた
マレーネ・モンテイロ・フレイタス『バッコスの信女ー浄化へのプレリュード』
を観てきた。
そもそもコンテンポラリーダンスの舞台はほぼ今まで触れる機会がなく、貴重な経験だったので薄れゆく記憶ながらメモ的にレポートしておきます。
以下ネタバレなのでご注意下さい。
とりあえずコンテンポラリーダンスって何なのかもわかっていないし、振付師のマレーネ・モンテイロ・フレイタスも知らない。
題材のギリシア悲劇「バッコスの信女」も知らない。
あまりにもまっさらでこれ楽しめるのか…?!
って状態で行ったのですが、
結果的にまっさらだからこそ、このカオスさを楽しめた。
カオスで無秩序
トランペッター4人が秩序を生み出しているのかと思いきや微妙に誰か1人が歪んで不協和音出す
トランペットの音かと思ってたら声になっていって演者の役割もごちゃ混ぜで境界が何なのかよくわからなくなっていく
そして途中で挿入されるモザイク無しの女性の出産シーン
(後で調べたら原一男監督「極私的エロス 恋歌1974」のシーンらしい、これが一番衝撃)
そんな中、クライマックスに向けてラヴェルのボレロが始まるのだけど、
その時点で
あぁこの無秩序をボレロで昇華するのか!
って私的に終わりが見えて納得した気になったのだけど、いい意味で予想を超えてきてボレロの間は一時も目を離せなかった。
ボレロが終わった瞬間は何とも言えぬすっきり感で、劇中の何これ?何の演出?って思ってたもやもや感は不思議となかった。
これがカタルシスとやらなのか?
ひとまずこんな感じで私のコンテンポラリーダンス初鑑賞は終わった。
観終えた日ツイッターで観た人の感想を見てみたけど結局よくわからず、まぁこれくらいの感じ方でいいんだろうなコンテンポラリーダンス、という結論。
そういえばピナバウシュのドキュメンタリーをずっと観ようと思いつつ観れてない。
いつか観たときの感想はまた別の機会に。